19になった

ドキュメンタリー・アンド・モキュメンタリーブログ

Blench The World

君の動脈を思いっきり掻っ切って、その血飛沫の中で悪魔のように踊り狂えば、いつのまにか虹が生まれて、あなたはあと30秒で死にますが、それはそれは美しいのかもしれない。つまり痛いと言う感情は美しいということになるわけで、それぞれは皮肉れた感情の、日に暮れた野望か、もしくは、切望であったとしても、その物語はひたすらに地べたを這いつくばりながら、ゾロゾロと音をたてながら進んでいくわけです。時の残酷な流れに身を任せて、ユラユラとクラクラになりながら、無駄のない生活を送ってきたのかもしれないが、無駄は生きるために必要な、いわばおとぎ話の様な娯楽に、僕たちは固唾を飲んで息を潜めるわけですが、それは喜怒哀楽のもう一つ手前の、幼稚だが虚無ではなく、それと違って縛りのない奇怪な形をしている感情に、ドップリと肩まで浸かれば、疲れは取れて、正しい目で正しい物を見ることができる様になる。女優のふりをした女に僕は己自身を捧げるが、それすら実は嘘になり、愛のふりは哀になり、私は間違い探しを続ける。ふてぶてしい全ては消えることなく、今も僕たちを蝕み、蒸しばんだ僕の腕を君が握ることになるのか、はたまた街で出会っても、気づかずにお互いを素通りするのかは、結局の所、個人の意思表示による物なのだろう。