7/3 24:20
妻と映画『2001年宇宙の旅』を見ようという話になった金曜の夜。
早々に妻は寝てしまった。
画面からは不穏な音楽が流れていた。狭い部屋にいると内省的になりすぎてしまいそうだった。ベッドを見ると、まだ妻はスヤスヤと眠っている。その日は眠れそうになくて、夜風が心地よい日だったから、「軽く外に出てみよう」と思い立った。Teklaのハーフパンツに、グッズのサンプルとして取り寄せたUnited Athleのスウェット、足元はKEENのサンダル。自転車でちょっとそこまで散歩して、すぐ帰るつもりだった。
知らない道をぶらぶらと走らせているうちに、気づけば渋谷にたどり着いていた。
初夏の夜は涼しく、過ごしやすい。そんな気候のせいもあってか、その日の渋谷の夜はカオスで、まるで百鬼夜行のようだった。 周りの誰もが楽しそうに見え、僕もその輪に入りたくなった。しかし、サンダルにダル着というあまりにもラフな格好だったため、Wombやasiaには入りづらい。どうしようかと彷徨っていたとき、東間屋が営業しているのを見つけ、ちょうどいいと思って入ってみた。
エントランスで「人、入ってますか?」と聞くと、「まあ結構入ってますよ」と言われた。期待して扉を開けたものの、フロアはガラガラ。なんだ、と思ったけれど、そこにいたDJのプレイが信じられないほど格好よくて、気づけば4時くらいまでずっと踊っていた。
最近、頭の片隅で「民藝」について考えていたのだけれど、「これと同じことだな」と腑に落ちた。 名前のない人が作り出す、名前のない夜。でも、それが途切れることなく続いていくことによって、文化は継承されていく。僕もその歯車のひとつに過ぎない。名前もない、もう二度と会えないような人たちとたまたま巡り合い、同じ音楽を聴いて、またそれぞれの生活へと戻っていく。その潔さと切なさに、たまらない美しさとロマンを感じていた。
DJが最高だったせいで、まだまだ踊り足りない。僕はそのままTunnelへと向かった。
エントランスのお姉さんに、「いやー、本当はここまで来るつもりじゃなかったんですよ」なんて話しかけると、「うちは9時までやってるから、思いっきり遊んでいってね!」と笑顔で送り出された。
フロアでぼーっと踊っている人たちを眺めていると、一人の外国人が話しかけてきて、お酒を奢ってくれた。少し話すと「ドラッグを持ってないか?」と聞かれた。「ごめん、持ってないよ」と答えると、彼はそそくさと去っていった。「そんなにプッシャーっぽく見えるのか?」と自分の生活を反省しようと思った。
そんな中、ケンシンに再会した。 バーテンをしている彼は、上京する前に和歌山で一度会い、東京に出てきてからも一度だけ会ったきりだった。その時の彼は東京の慣れない環境にすっかり疲弊し、心を病んでいた。だから「大丈夫かな、どこで何をしているんだろう。元気に生きているのかな」とずっと気にかけていた。こうしてまた会えたことが、素直にすごく嬉しかった。
あれからどうしていたのか、そんな話をお互いにして、テキーラを奢ってもらった。彼はすごく優しくて、その優しさがときおり彼自身のことを苦しめることもあるのだろうと思った。だけど彼は迷いながらも自分の居場所を見つけている感じがした。 クラブはそういう人たちの受け皿になっていると思う。いつでも遊びに行っていい場所があるというのは、すごく救われる。
1階でのんびり座りながら、男女がイチャイチャして楽しそうに踊っているのを見ていると、隣にデンマークから来たという男の子が座った。自然と会話が始まる。
彼はデンマークと日本のハーフで、「お母さんともっと深い話をしたいから、日本に来てカルチャーと言語を学んでいるんだ」と語ってくれた。そのピュアな想いに感動した。 「あなたはどう?」と彼に聞かれ、僕は最初「わからない」と答えた。それはそれで僕なりの誠実な答えだった。そして、さっき東間屋で感じた「僕は誰でもないし、君も誰でもない。でも、だからこそ一緒にここにいることがいいよね」という話を彼にしてみた。
すると彼は、僕の目を見て「もっと真剣に向き合ってほしい」と言った。 「確かに僕も誰でもないし、君も誰でもない、もう会わないかもしれない。だからそれでいいのかもしれない。だけど、せっかくここで出会って話をしているのも事実で、だから少しは君のことを教えてくれたっていいだろう?」と言われた。
確かにその通りだ、と思った。 僕は今年から始めた新しい仕事が上手くいかなくて辛いこと。そこから逃げるようにウィードが辞められなかったこと。でも、一度生活をリセットしようと思って、今はウィードを断っていること。生活は泥臭くて辛いこと。妻は今、家で寝ていて、僕はこんな時間にここにいて君と話していること。
僕の話を聞いた彼は、「僕にも全く同じような時期があったよ」と、彼の過去を話してくれた。彼も毎日ウィードを吸って、ウィードは好きだけど、ウィードを吸っている自分が嫌いになって、そこからどうやって抜け出し、東京で仕事を見つけ、これからの大変な日々をどう生きていくか。そんな話をしてくれた。彼に出会えて本当に良かったと思う。人生はいつからでもやり直せるし、自分の手で切り開いていくしかないと教えてくれた。
彼を見送ったあと、今度はロリータ風の服をまとった女の子が「そのパンツ可愛いね」と話しかけてくれた。話を聞くと、彼女は「文化」に通っているという。 (文化の人って、「文化です」っていうだけで全てが伝わると思っていて、その誇りってすごいよね、と思った)
「いいでしょ、でもこれパジャマなんだよね。本当はすぐ帰ろうと思ってたから……」と話していると、彼女を取り囲んでいた男の一人が、僕を一瞬睨みつけるような視線を送ってきたのが分かった。 「オーケー、お前は彼女のことを狙ってて、俺がここにいると都合が悪いんだろ、めんどくせえな」と思い、その場での会話はそこそこに切り上げて2階へと上がった。
気づけば、その子も男に連れられて2階に上がってきていた。 バーカウンターで男に酒を奢られながら、彼女は隙を見つけて僕に「私はゲイなのに、この人がしつこくて本当に困っている」と状況を教えてくれた。なるほど、と合点がいった。僕は「大丈夫、ここにいなよ」と言って、それから彼女と一緒に過ごした。男は僕がそばにいてもお構いなしに彼女のことを口説いていて、だいぶ粘っていたけれど、最後には諦めて帰っていった。「ゲイなんだからどう頑張っても無理だろ」と思いながら、本当に男の下心ってくだらないな、と冷ややかな気持ちになった。
その男が去った後、今度は別のゲイの人が近づいてきた。すると、彼女とそのゲイの人が一瞬で意気投合して仲良くなった。その光景を見ていたら、自然と笑ってしまった。
クラブという場所で、女性がこうして嫌な標的にされてしまうのは見ていて辛い。クラブにはいろんな人間模様があっていいとは思うけれど、下心だけでしか人と向き合えないのは最高にダサいと思う。「もっとオープン・ユア・マインドでいこうよ」と思ってしまう。彼らには、有害な男性性的な彼らなりの孤独があるのかもしれないけれど、そういうことは考え出したらキリがない。いや、でも、とにかく、だからといって女性を、いや人間を自分の何かを発散させるための道具みたいに扱うなよ。気色悪かった。
そうして嫌な思いをしていた彼女が、最後には心底楽しそうにハッピーに過ごしている姿を見届けられて、本当によかった。
そんなことをしているうちに、気づけば朝の7時になっていた。
また1階に降りてみると、高山さんがいた。挨拶を交わし、最後のセルにいけなかったことを謝ると、優しい言葉と温かいエネルギーをもらった。
もう帰ろうとしていたら、エントランスのお姉さんに もう一度会った。 「お兄さんまだいたんだねえ」 「いやー、今日はすごく楽しくていい日でした」 「それはお兄さん持ってるねえ。お兄さんが良いバイブスだからだねえ、わたしゃもうお腹が空いてもうだめだよ〜」 と言いながら去っていった。
「あぁ、今日は本当にいい日だな……」としみじみ浸っていたら、胃がキリキリする感覚が襲ってきて、僕は家路についた。
誰かを大切にするためには、まず自分自身を大切にしなきゃいけない。
そして、これこそが僕なりの自分を労う方法だった。
今日は僕が僕なりに生きていくための、僕なりの自分を労う日だったんだと思った。
家に帰ると妻はまだ心地よさそうに眠っていた。
僕は今日、この街でたくさんの人と話をした。
名前も知らない、もう会わないかもしれない人たち。
あとになって「あの時、こう伝えておけばよかった」と思っても、もう二度と伝えられないことの方がどうやら圧倒的に多いらしい。
だから、その時その場で交わせた言葉を大事にしたい。目の前にいる人やそこで広がる景色を大事にしたい。