19になった

ドキュメンタリー・アンド・モキュメンタリーブログ

波の歌

俺はSNSに生きてる人に不信感を抱くのよ。美術館行って写真撮って肝心の作品は見てない。観光地行って写真撮って何も見てない。デート行って写真撮って相手の表情見てない。なんでなん、もはや何が楽しいのかもわからへん。写真に写る自分は結局虚構やん。偽物。それはそれで意味のあるものかもせん、この世に意味のないものはないからな。でもそれってどうなん。いや、別にいいねんで、その人はそれがしたいんやから。皆んな自由にやりたいことやったらいいんやで。でもなそれってなんかつまらない感じがせんか?セックスしろやって思うねん。お前らがやってるのは、カメラの前でオナニーして配信してるあいつらと変わらんねん。いや、だからそれはそれでありがたがる人もおるからいいんやけどな。別にSNSが現実じゃないって言う訳じゃないで、もはや現実の一部やんか。でもそれは己の眼じゃないっていうか、眼で見てしっかり考えらなあかんやん、なにごともな。何を真剣に語ってんねんって話やけどな、嘘ばっかやん、なんかもうずっと嘘ばっか。世間は嘘まみれ。モナリザとか見に行ったけど、そこだけ写真撮るのに列ならばなあかんくて、ぶっちゃけなんも見られへんかった。大した感動もなかった。俺には、それより街中にある落書きの方が刺さった。全部結局虚構や。世間は結局嘘まみれ。だからな、これ俺がSNSはクソやみたいなこと言ったけども、それも結局俺という名の嘘。誰かがこれを読んで抱く意見も嘘。存在が嘘。歴史も価値も哲学も人も全部嘘やねん。ニーチェニヒリズムとかとは違うで、ごめんな。俺アホやからニヒリズムの概念すら違うかもせんけど、まあでもそれもそれで嘘。SNSも嘘やからだから俺は嘘が嫌いやから、でも自分が嘘つくのはちょっとやめられへんねんけどな。