19になった

ドキュメンタリー・アンド・モキュメンタリーブログ

sweetest revenge

映画館行ったんですよ。脚本が僕が大好きな人で。心踊らせて向かったんですよ。久しぶりの映画館は人が結構いて、コロナ前の活気が戻ってきたのかなあと思ってたんですけど、久しぶりに人がいる映画館はマナーがすこぶる酷くて。前のカップルは大声で喋ってるし、横のカップルはフラッシュ焚いて写真撮影してるし、横のおじさんなんていびきかきながら寝てて、それをなんか皆んながクスクス笑ってて。なんかそれがすごい気持ち悪くて。
それでその映画、恋人と最終的に別れちゃう、所謂恋人と見ちゃダメっていう映画だったんですけど、見終わった後に「ざまあみろ、気まずくなれ」って心の中の性格が悪い部分が出てきたんですけど、前に座ってたカップルは劇中のセリフの意味合いを勘違いして彼氏にジョークとして話してて、彼氏はそのジョークにすら気づいてなくて、全然気まずくなってなくて、ああうまくいかねえなーってイラついてたんです。

一日二日経って今日になって冷静になって考えてみたんです。そしたらあの人たちにとっての映画はただの道具でしかないってことに気がついて。彼らは映画を誰かと一緒に見たっていう事実が欲しいだけで、それがどれほどのバッドエンドで、どんなにカップルで見る映画には向いてなくても、そんなのはどうでもいいことなんだなって。なんとなく映画見て、いつ手繋ごうかなとか邪な気持ちが脳内のほとんどを占めてて、そのあとホテルなんて行ったら今日見た映画がどうとかこうとか、そんなことはどうでもいいんですよ。

徹夜でセリフ考えて、カメラの位置はあと2ミリ右がいいかなとか考えたものが彼らにとってはホテルで射精するまでの助走でしかないんですよ。この現実は辛いですよ。でもそういう映画の使い方をするのは悪いことじゃないと思いますよ。下品なだけで。でも誰しもが誰かから見たら下品なんですよ。解せぬ。」

12月の雨

もしかしたら俺を救うものは何もないのかもしれないすごい病んでる文章から始まるこんなブログも作品なんて言えないガラクタ。だけどそんな物ばっかの世界だろ。今更。

どんなマイメンも離れてくのかも。どんなベイビーも離れてくのかも。強めの言葉が口から出る。飲み込んでなかったことにしたい。弱い心はどこかに捨てたい。それでもいいなんて言えるほど強くないんだ俺は。なのにそれでもいいよなんて人には言う無責任なのさ俺は。

昔はそれで良かったんだ。だけど本当は何も変わってないんだ。変わったフリした人間に騙されて、精神がイカれてくる。やっぱりこの病んだ国には大麻が必要だ。ただの会話でゲラゲラ笑いたいだけなんだ。自分の力を過信しないで、頼れる物全てに頼りたいだけさ。おっとこれはまた無責任さ。

自分と社会の隙間がどんどん拡がっていく。孤高になれず孤立する。泣きたいと言えず胸を整える。ファック。

せめて自分には正直でいたいさ。正直だから痛いんだ。自殺は痛くなかったらしてるさ。コロナの死亡者と自殺者の数を比較する。

シェアはシェイクしてどこかにポイ。辛い気持ちポイントカードあれば、一生無料で生きてけそうさ。

時間は大切な友達。だってさ。とりあえずその言葉信じてみるしかなさそうだな。ユーミンみたいに。

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遠い遠い昔のお話、そうだな、まだこの世界が新型コロナウイルスの影響下にあった時代、まだ男女が平等でなかった時代、まだこれほどまでに多様性がなかった時代、夫婦が同じ名字を名乗らなければならなかった時代、夫婦が男女ではならなかった時代、大麻がまだこの国では違法だった時代、逆にアルコールが合法だった時代、タトゥーが入ってると殆どの銭湯に入れなかった時代、まだこの国の賃金が先進国最下位だった時代、まだこの国の経済格差がここまで酷くなかった時代、第三次世界大戦にこの国が巻き込まれる前の時代、この国の新生児がついにゼロになった時代より少し前の時代、この国の消費税が120%になる前の時代、定年が80歳まで引き上げられる前の時代、国民年金が崩壊する前の時代、オリンピックが終了するよりも前の時代、まだiPhoneが12だった時代、移民がここまで多くなかった時代、価値観をアップデートできない人間が少しずつ淘汰され始めた時代、まだ5Gになりたての時代、移動手段として飛行機が一番速いとされてた時代、世界は大変だったがそれでも人を思いやることを忘れないでいた時代だ、あ、いやー最後のは違うか、まあとにかく、そんな時代のお話だ。

Qamisama

夜ばかりが眩しい。日光は辛い。なのに僕は日光が好き。僕は本当のことしか言わない。という嘘をつく。明日は晴れればいいな。雨でもいい。それは夜更け過ぎに雪へと変わるだろうか。もしそれがそうなれば、僕は誰と一緒にそれを眺めたいだろうか。ビリーも森七菜も19歳だ。僕は二十歳。もう少しで21になる。ああ、年始のMステに出ようかなあ。そうしよう。人気ロックバンドのベースが僕です。宜しくです。

聞き飽きた山下達郎。でも実際はそんなことはない。誰かが嫌うクリスマスに、僕は幸せを感じる。時代遅れのプロデューサーはダサいものを作っては権力だけで、世に送り出す。僕たちはそうして誰かに操られて生きているのだろう。今僕が聞いている音楽さえ、社会が作った価値観の上で楽しんでいる。それを知った上でも僕は社会の手のひらの上で踊ることをやめない。こんな一見無茶な、だけど実は本当の説を信じるならば、僕が君を好きだということも、社会の仕組みの一部なのだろうか。僕はそれでもいいなと思った。と、いうのは少しありきたりだろうか。だけど君とならありきたりでもいいのだろう。雪が降ってきて、これは積もるかなとも思った。こんな街で積もった雪なんて綺麗なはずはないのに、少しばかり僕はそれを楽しみにしていた。

空いろのくれよん

急に会いたくなったことを僕は誰に言ってみようか。夜は長くなった。僕は孤独になった。それを紛らわすことも上手になってきた。だけど唐突にそんな脆い鎧は一瞬で壊れている。僕は天窓を見つめる。画素数の粗い月の光が照らす。お酒を注ぐグラスの中は溶けていく途中の氷が音を鳴らす。一度は出会って、永遠にさようなら。少しだけしたい悪あがき。僕の本音は君には言えない。君の本音も見たことがない。月が赤くて美しいけど、僕は君にそれを伝えることをやめて、他の誰かに成り下がる。この世界を仮想現実に見立てても続いてく生活。ひとりひとりの生活は一つずつ。交わってた線が徐々に交わらないようになっていって。それでもまた会うなら笑いながらハローアゲイン。そらいろのクレヨンで君を描いたけど、全然君に似てなくてクシャクシャにした。その手で君の顔もクシャクシャにした。僕の空想は君を幸せにするけど、現実じゃそうもいかないみたいだ。だったら僕はこの世界が終わるところでも安易に想像しながら、トイレで生命の発見の無駄話でもしようか。夜眠れなくて、君にLINEの返事をした後にビリーアイリッシュの可愛いまとめ動画を眺めてるよ。ダア。マイベイビ。

Vignette

夢の中で彼と出会った。凄く心地いい感じがしたが、同時に不安でもあった。水の中に溺れていく様な感覚を持ったと同時に、自分の中の何かが崩れ落ちていった。目覚めるとそれは意外に爽やかな朝だった。

隣にいる女が言った。「うなされてたけど何か夢を見たの?」僕は何食わぬ顔で「いいや」とだけ答えてキッチンに向かった。嘘をついた昨夜のことをコーヒーを飲み干すように忘れた。

これから大人になろうとしていた私は、彼と出会って未だ知らない自分を知った。誰彼にでもそういう体験は訪れるのだろうが、僕が知ったことはあまり誰にでも訪れるようなものではないのかも知れない。

私は彼と沢山の何かを経験したわけではない。彼を眺めていただけにすぎない。それでも私には永遠に忘れられないような瞬間だった。彼は若くしてこの世を去った。いや、寿命を全うしたのかも知れない。

私はまた今日も空っぽになった虫かごの中を見つめるのだ。

ゆめのなか

いつも通り散歩に出かける。思い通り行かない人生に反抗する様に、頭の中で考えていた進路とは反対方向に向かったりもする。その方向に向かった先ではビルの解体作業が行われていた。青緑色の大型車がビルを荒々しく丁寧に壊していた。それを見上げる人は少しばかりいて、僕も彼らに紛れて傍観していた。崩れ落ちるそのビルの破片の一つ一つに、そのビルに携わった人たちのことを考えたと同時に、現在進行形で壊している人たちの気持ちについても考えようとした。壊している時に何かを考えるのだろうか。それともなにも考えないのかもしれない。一度でもそのビルに訪れた人は壊されていることを知って何かを思うのだろうか。若しくは毎日訪れていた人はなにを思うのだろうか。案外悲しんでいる人はいなくて、せいせいした気持ちの人ばかりかもしれない。とか思いつつもほとんどの人がほとんどなにも思わないのだろう。その事実のあっけらかんとした様子が僕や誰かを嘲笑うのかもしれない。目に見えないものもそんなビルと同じように音を立てて崩れ落ちてしまえば、どれほど楽になるのだろうか。人と人とを結ぶものなんて多分ない。人間の欲しかない。人間の欲は無限だからつまり、人と人との間には目に見えない、見えてはいけない無限が存在するのだろうと思う。くだらない